19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco

第三章 第六節 - 彼女が甦ったこと



 私はルーヴェットに案内されて、緑の畝づたいに田園のはずれまでやってきた。土地は遠くへゆくほど小高くなっていて、彼方には茶色の地平線が空を背景にくっきりと浮き出ていた。すでに燃えるような雲が沈む日のほうへ傾いていた。そして夕暮れのぼんやりとした光のなかに、小さい影法師がいくつもさまよっているのが認められた。
 ──もうじき、と彼女は言った、火がともされるのが見えるでしょう。明日になればもっと遠いところに。彼らは一所不住の群なの。で、それぞれの場所にはひとつしか火をともさないのよ。
 ──彼らはいったい何者なのかね? と私はルーヴェットに訊ねた。
 ──よくわからないわ。あれは白い服を着た子供たちなんです。私たちの村からやってきた子もいるわ。ほかの子らはもうずいぶん前から歩いているの。
 小さい焔がきらりとひらめいて、それが宙に躍るのがみえた。
 ──あれが彼らの火よ、とルーヴェットが言った、まもなく彼らの姿がみえるわ。彼らは夜になると火を焚いた場所に眠るの、そして翌日にはもうその土地を離れるの。
 私たちが火の燃えている丘の上までやってくると、白い服を着た子供が何人も焚火のまわりに集まっているのが見えた。
 その子らのなかに、彼らに語りかけている案内役らしい娘がいて、私はそれがかつて雨の降る暗い町で出会ったランプ売りの少女であることを発見した。
 彼女は子供たちの間から立ち上がって私に言った。
 ──私はもう陰気な雨で火が消えてしまう嘘つきのランプは売っていないの。
 なぜなら、嘘が真実にとってかわる時期が、みじめな仕事をしなくていもいい時期が来たから。
 私たちはモネルの家で遊んでいたわ。でもランプはおもちゃで、家は隠れ家だった。
 モネルは死んだの。私はその同じモネルよ。私は夜になってから起き上がり、小さい子らは私についてきたの。そして今ではあちこち旅して歩いているのよ。
 彼女はルーヴェットのほうへ顔を向けて、
 ──私たちといっしょにいらっしゃい、と言った、そして嘘のなかで幸せにおなり。
 ルーヴェットは子供たちのほうへ駆け寄った、すると服が彼らのと同じく真っ白になった。

 ──私たちは歩きながら、と案内役の娘は語を継いだ、会う人ごとに嘘を言って、喜びを分け与えてあげるの。
 かつて私たちは嘘をおもちゃにしていたわ、でも今はありとあらゆるものが私たちのおもちゃなの。
 私たちのところでは、だれも苦しまないし、だれも死ぬことはない。私たちは言うの、あの人たちは悲しむべき真実を知ろうとして無駄な努力をしてるんだ、ってね。だってそんな真実はどこにもありはしないんだもの。で、真実を知りたがる人々はだんだん私たちと疎遠になり、やがて離れていってしまうの。
 逆に私たちはこの世の真実なんていうものには何の信仰ももってやしない、だってそういったものは悲しみに導くだけだから。
 私たちが望むのは子供たちを喜ばすことだけ。
 そのうち大人の人たちがやってくるようになれば、私たちは彼らに「無知」と「錯覚」とを教えてあげるつもりよ。
 彼らに今まで見たこともないような小さい野の花を見せてあげるわ、どんな花だって新たに咲き出たものだから。
 そして私たちは訪れる土地のすべてに驚くでしょう、すべての土地は新たに見出されたものだから。
 この世には似たような同じものなんてふたつとしてないわ、だから私たちには思い出も存在しない。
 すべては絶え間なく変化している、だから私たちは変化することを習慣にしてしまったの。
 そんなわけで、私たちは毎晩違った場所に火をともして、その火を囲みながら、ピグミーや生きている人形などのお話を考え出しては、いっときのお楽しみにするのよ。
 焔が消えてしまったら、また別の嘘が私たちの心を捉える、で、私たちはその嘘に驚くのが楽しみなの。
 朝になると、私たちはもう銘々の顔を覚えていないわ。だって、真実を知りたいという気になった子もいれば、ゆうべの嘘しか思い出さない子もいるでしょうからね。
 こんなふうにしていろんな国を経巡っていると、子供が群をなして押し寄せてくるわ、そして私たちの一行に加わった子らは幸せになるというわけよ。
 私たちが街に住んでいたころは、むりやり同じ仕事につかせられていて、同じ人々を愛していた。でも私たちは同じ仕事に飽き飽きしていたし、私たちの愛する人々が苦しんだり死んだりするのを見るのがつらかったものよ。
 私たちの間違いは、そんなふうに生のただなかで立ち止まって、自分たちは動かないまま、すべてのものが流れていくのをただ見ていたこと、あるいは生の流れをせきとめて、漂い浮ぶ廃墟のなかに永遠の住みかを建てようとしたことよ。
 でも、嘘つきの小さいランプは私たちに幸福の道を照らし出してくれた。
 人は喜びを思い出にもとめ、今のありように抗い、この世の真実を誇りにするわ。そんなものは真実になったとたん本物ではなくなるのに。
 人は死を嘆き悲しむけれども、死は彼らの知識や不変の法則の影像にすぎない。また人は未来の選択を誤ったといって嘆くけれど、その未来は過去の真実をもとに組み立てられた未来で、彼らはそのとき過去の欲望にしたがって選択しているのよ。
 私たちにとって、欲望はすべて新しいもので、私たちの欲するのはただ欺瞞の刹那だけ。思い出はすべて本当だけど、私たちは真実を知ることを放棄してしまったの。
 私たちには仕事は忌わしいものにみえるわ。だってそれは私たちの生の流れをせきとめ、生をただ生に似たものに化し去ってしまうから。
 すべての習慣は私たちには厭うべきものよ。だってそれは新しい嘘に私たちが全身的に没入するのをさまたげるから。

 こういったところが、案内役の娘の語った言葉であった。
 私はルーヴェットに、私といっしょに両親のもとに戻ってくれるよう懇願した。しかしその目をみると、彼女にはもう私がだれなのかわかっていないことがはっきりと読み取れた。

 私は一晩じゅう夢と嘘との宇宙で生き、生れたばかりの嬰児の無知と錯覚と驚きを学ぼうと努めた。
 そうするうちに、ゆらめいていた小さい焔の勢いが弱まってきた。
 そのとき私は、寂しい夜のさなかにあって、純白の子供たちのいくたりかが泣いているのに気がついた、彼らはまだ記憶をすっかりなくしてしまったわけではなかったのだ。
 また突如として仕事の熱にとりつかれ、闇のなかで麦穂を切って束にする作業をはじめる子らもいた。
 また真実を知りたいと願っていた子らは、青ざめた小さい顔を冷えきった灰に向け、白い服の下でふるえながら死んでいった。

 しかし空が薔薇色に明けそめるころ、案内役の娘は起き上がり、私たちのことも、真実を知りたいと願った子供たちのことももはや記憶にとどめない様子で歩きはじめ、白い子供たちがぞろぞろとその後に続いた。
 一行は喜ばしげで、彼らはあらゆるものにやさしい微笑を投げかけた。
 夕方になると、彼らはふたたび麦藁で火を焚いた。
 しかし焔はまたしても勢いを弱め、真夜中になると灰は冷たくなった。

 そのときルーヴェットに記憶がよみがえった、彼女は愛すること、苦しむことを選んだのである、彼女は白い着物のまま私のところへ戻ってきて、私たちは二人ながら野原を横切って遁れ去ったのであった。
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by sbiaco | 2010-02-03 20:34 | III.モネル