19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco

第三章 第二節 - 彼女の暮しのこと

 モネルがどこで私の手をとったのか、もうよく覚えていない。が、それがある秋の夕暮れだったことは覚えている。雨がすでに冷たくなっていた。
 ──私たちといっしょに遊びにいらっしゃい、とモネルは言った。
 モネルは前掛けのなかに古びた人形や羽子を入れていたが、その羽子の羽は痛み、飾り紐は色あせていた。
 彼女の顔は青白く、その目は笑っていた。
 ──遊びにいらっしゃい、と彼女は言った。さあ、もう仕事なんかよして遊ぶのよ。
 風が強く、地面は泥だらけだった。舗道が水に光っていた。店の軒づたいに雨水が一滴また一滴と落ちてくる。乾物屋の店先では女の子が何人か体をふるわせていた。ともされた蝋燭の火が赤くみえた。
 が、モネルはそんなことにはおかまいなしに、ポケットから鉛のさいころ、錫の小刀、ゴム毬などを次々に取り出してみせた。
 ──これはみんなあの子たちのために買ったのよ、と彼女は言った。買い物をしにいくのは私の役目なの。
 ──で、いったいあんたはどんな家をもってるの、どんな仕事を、どんなお金を、あんたは……
 ──モネルっていうの、とその少女は私の手をにぎりながら言った。みんな私のことをモネルって呼ぶわ。私たちのお家は遊びをする家なの。仕事はぜんぶ閉め出してしまったってわけ。まだ手許にあるわずかのお金はお菓子を買うためのものよ。私は毎日町を歩いて子供を探しにいくの。で、その子たちに私たちの家のことを話してあげて、それから家に連れてくるの。私たちは見つからないようにうまく隠れてるわ。大人は私たちを見つけたらむりやり家へ連れ帰るでしょうし、私たちがもっているものをぜんぶ取り上げてしまうでしょうからね。みんな、いっしょにいて遊びたいと思ってるのに。
 ──で、君たちはどんなことをして遊ぶのかね、モネル。
 ──そりゃもうありとあらゆることよ。大きな子供たちは鉄砲や拳銃を作って遊んでるわ。ほかにも羽子をついて遊んだり、縄跳びをしたり、毬投げをしたりする子もいるし、ロンドを踊る子や、手とり遊びをする子もいるわ。ガラス窓にだれも見たことのないようなきれいな絵を描く子や、シャボン玉を飛ばして遊ぶ子や、それにお人形に服を着せたり散歩させたりして遊ぶ子もいる。まだ幼い子供は、私たちがその子の指で数をかぞえて笑わせてあげるの。

 私がモネルに連れられて行った家は、どうやら窓がすべて塗り塞がれているようだった。その家は街路からはずれたところにあって、光はただ奥行きのある庭から入ってくるだけである。そこへ足を踏み入れると、早くも楽しそうな声がきこえてきた。
 三人の子供がやってきて、私たちのまわりで飛び跳ねた。
 ──モネルだ、モネルだ、と彼らは叫んだ。モネルが帰ってきたよ。
 子供たちは私を見つめてつぶやいた。
 ──やあ、ずいぶん大きな人だなあ。この人も遊ぶのかい、モネル?
 少女は彼らに答えて言った。
 ──もうじき大人の人も私たちのところにやってくるわ。そして子供になるの。大人たちは遊びを習うのよ。私たちは大人のためにクラスを開いてあげるけど、そのクラスではもうだれも仕事はしないの。みんな、お腹すいた?
 彼らは口々に叫んだ。
 ──うん、うん、そうだ、ままごと遊びをしようよ。
 そこで小さい円テーブルや、リラの葉っぱくらいの大きさのナプキンや、キャップつきの指抜くらいの深さのグラスや、胡桃の殻みたいに凹んだお皿が次々に運ばれてきた。料理はチョコレートと氷砂糖だった。が、葡萄酒はうまくグラスに注ぐことができなかった。というのも、葡萄酒を入れた白い小瓶は小指くらいの大きさしかなく、注ぎ口があまりに狭かったから。
 部屋は古くて天井が高かった。いたるところに緑色や薔薇色の小さい蝋燭があって、錫でできた小型の燭台の上にともっている。壁には円い小さい姿見がいくつも懸けてあって、まるで鏡に変えられた銀貨のようにみえる。人形は子供たちに混じるとほとんど見分けがつかず、ただそれが動かないのでようやく人形とわかるのだった。人形のあるものは長椅子に腰掛けていて、またあるものはこまごました化粧道具の前で腕をあげて髪を結っており、またあるものは銅の小さいベッドであごの上までシーツをかぶって早ばやと寝に就いていた。床には木造の羊小屋にあるようなすべっこい緑の苔が撒いてあった。
 その家はまるで牢獄か施療院のようにみえた。牢獄といっても、それはいとけない子供たちがつらい思いをせずにすむように彼らを閉じこめておく場所であり、施療院といっても、それは生活のための労働という病を癒す場所ではあったが。そしてモネルはそこでは看守であり、また看護婦でもあるというわけなのだ。
 小さいモネルは子供たちが遊ぶのを見ていた。しかし彼女はひどく青い顔をしていた。おそらくお腹をすかせていたのだろう。
 ──ねえモネル、君たちはいったい何を食べているの? と私はだしぬけに訊いてみた。
 彼女は簡単にこう答えた。
 ──なにも食べやしないわ。そんなことだれも知らないわ。
 そういうととたんに笑いだした。が、彼女はあきらかに弱っていた。
 彼女は病気の子供が寝ているベッドの脚もとに座りこんだ。そしてその子に白い小瓶を差し出して、口を少しあけたまま、しばらくのあいだ身をかがめていた。

 そこにはロンドを踊ったり、きれいな声で歌を歌ったりしている子供たちがいた。モネルは少し手をあげてこう言った。
 ──しっ、静かに。
 それから彼女はゆっくりと、ささやかな言葉を語りはじめた。彼女はこう言った。
 ──私、病気じゃないかと思うの。でもみんな行かないでね。私のそばで遊んでいてね。明日になったらだれかべつの人がきれいなおもちゃを買ってきてくれるわ。私はいつまでもみんなといっしょよ。だから、やかましくしないで遊びましょうね。しっ、静かに。もう少ししたら、野中や町中で遊べるし、どのお店でも私たちに食べ物をわけてくれるでしょう。いまのところは、私たちもほかの人たちと同じように生きていくほかないのよ。だから、どうか待っててちょうだいね。いつかいっぱい遊べる日がくるまで。
 モネルはさらにこう言った。
 ──私のこと好きでいてね。私はあなたたちみんな大好きよ。
 それから彼女は病気の子供のそばで眠りこんでしまったらしかった。
 ほかの子供たちはみんな首をのばして彼女を見つめていた。
 だれかが小さい震え声でぽつりと言った、「モネルは死んじゃったんだ」と。深い沈黙があたりを領した。
 子供たちはベッドのまわりに火のついた小さい蝋燭をもってきた。そして彼女がただ眠っているだけだろうと考えて、まるで人形に対してやるように、青くあざやかに尖をとがらせた小さい樹木のおもちゃを彼女の前に並べ、白い木でできた羊のおもちゃの間にそれらの樹を置いて彼女を眺めた。それから床に座りこみ、固唾をのんで様子をうかがっていた。しばらくしてから、病気の子供はふとモネルの頬が冷たくなっているのに気がついて、しくしくと泣きはじめた。
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by sbiaco | 2010-02-07 12:44 | III.モネル