19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco

第二章 第八話 - 夢を追う娘

 マルジョレーヌは両親を亡くしたあとも、小ぢんまりした生家で、年老いた乳母といっしょに暮らしていた。両親が彼女に遺したのは、茶色がかった藁葺き屋根の小屋と、大きな暖炉のマントルピースだった。というのも、彼女の父は夢の語り手であり紡ぎ手であったから。かつて彼の非凡な着想に惹かれたさる友人が、焼き物のための土と、夢想のためのいくばくかのお金とを彼に貸し与えたことがあった。彼は目もあやな七宝を焼かんものと、長年月を費やしていろんな種類の粘土に金属の粉を混ぜ合わせていた。ガラスを溶かして珍奇なオブジェをこしらえたり、それに金箔を貼ってみたりしたこともある。彼は硬質素地をこねあげて作った中子に「窓」をあけ、冷却されたブロンズは沼のおもてのように虹色の光を発した。しかし、父が残したものはといえば、黒こげになった二、三の坩堝と、金屎(かなくそ)のこびりついている摩滅した青銅板と、暖炉の上に置いてある色のあせた七つの大きな壷があるばかりだった。マルジョレーヌの母は信心深い田舎出の娘だったが、彼女のものはなにひとつ残っていなかった。母は彼女のいわゆる「陶物師(すえものし)」のために、銀の数珠さえ売り払っていたからである。
 マルジョレーヌは父のそばで大きくなった。父は緑の前掛けをして、手はいつも泥だらけで、目は火のせいで赤く充血していた。彼女は暖炉の七つの壷を驚きのまなざしで眺めていた。それらは煙にいぶされ、神秘に満ちていて、まるでうつろな波打った虹のように見えた。奴隷娘のモルジアヌならば、血の色をした壷から、油まみれの盗賊を、ダマスクスの花で覆われた剣もろとも飛び出させたであろう。オレンジ色の壷のなかには、アラジンの場合と同じく、ルビーの果実、アメチストのすもも、柘榴石のさくらんぼう、トパーズの榲桲、オパールの葡萄、ダイヤモンドの漿果などを見出すことができた。黄色の壷には、カマラルザマン王子がオリーヴの実の下に隠しておいた砂金がいっぱいつまっていた。蓋の下にオリーヴの実のひとつが少し見え、器の縁はつやつやと光っていた。緑色の壷は大きな銅の印璽で封印されたものらしく、ソロモン王の名が刻まれていた。歳月がそれにうっすらと緑青を刷かせていた。というのも、その壷はかつて海の底に沈んでいたので、何千年も前からそのなかにはジンニーが、すなわち王子が閉じ込められていたのである。うら若い賢い乙女だけが、満月の夜、マンドラゴラに声をあたえたソロモン王の許可のもとに、その呪縛を解くことができるのだ。青い壷にはジャワール姫が彼女の紺色の衣装をすべて詰めこんでいたが、それらの衣装はいずれも海草で織られ、藍玉をあしらい、貝から採った緋色の染料を散らしてあった。南国の花の青い穀斗がそのまま大きくなったような藍色の壷には、地上の「楽園」のすべての空が、木に実るゆたかな果実が、燃えるような蛇のうろこが、天使のもつ赫々たる剣が封じ込められていた。最後の壷には謎めいたリリス姫が天上の「楽園」の空をそっくり注ぎ込んでいた。というのも、その壷は紫色で硬く、まるで司教の着る頭巾付の外套のようにすっくと立っていたからである。
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 こういったことに通じていない人々にとっては、暖炉に張り出したマントルピースの上にあるのは、ただの古びて色あせた七つの壷にすぎなかった。しかしマルジョレーヌは、父のしてくれたお話によって、ほんとうのことを知っていた。冬の炉辺、薪や蝋燭のちらちらする火影のあいだに、彼女は眠る時間がくるまで、これらの不可思議がひしめきあう様子を目で追っていた。
 そういってもパン櫃も塩入れも空っぽとあっては、さすがの乳母もたまりかねてマルジョレーヌに哀訴した。《結婚しなせえ、と彼女は言った、かわいいたんぽぽ娘さんよう、あんたがたのお母さんはジャンのことを考えていなすったよ。ジャンのとこへ嫁にいったらどうかえ。かわいいジョレーヌ、ジョレーヌ嬢ちゃん、あんたならきっときれいな花嫁さんになれるよう》
 ──マルジョレーヌの花嫁には騎士たちがいたわ、と夢みるように少女は言った、私は王子さまと結婚するの。
 ──マルジョレーヌ姫さんよう、と乳母は言った、ジャンと結婚しなせえ、そしたらジャンがあんたの王子さまになるんだよう。
 ──いいえ、小母さん、と夢みる少女は言った、私は糸を紡ぐほうがいいわ。私、もっとりっぱなジンニーのために、ダイヤモンドやらドレスやらを待ってるのよ。麻と、紡錘竿(つむざお)と、ぴかぴかの紡錘(つむ)とを買ってきてちょうだいな。もうじき私たちのお屋敷がもてるでしょう。そのお屋敷は、いまはアフリカの黒い沙漠にあるのよ。そこには血と毒にまみれた魔法使いが住んでるの。魔法使いは旅人のお酒に茶色の粉をまぜこんで、それを飲んだ旅人は毛むくじゃらの獣になってしまうんだわ。お屋敷は赤々と燃える松明に照らされていて、食卓にはべる黒人たちはみな頭に金の冠をかぶってるの。私の王子さまがその魔術師を退治すると、お屋敷はこの田舎へ飛んできて、小母さんは私の赤ん坊をあやすことができるのよ。
 ──おお、マルジョレーヌ、ジャンと結婚しなせえ、と年老いた乳母は言った。
 マルジョレーヌは座って糸をつむいだ。彼女は熱心に紡錘をまわし、麻糸を撚ったり、撚りを戻したりした。紡錘竿は細くなったかと思うとまた太くなった。彼女のそばにはジャンがやってきて座りこみ、彼女をほれぼれと眺めるのだった。しかし彼女はそんなことにはいっさいお構いなしだった。というのも、大きなマントルピースの上の七つの壷には不可思議がいっぱい満ちていたから。昼のあいだ、彼女は壷がうなったり歌ったりするのを聞いているんだとばかり思っていた。が、彼女が糸をつむぐ手をとめると、紡錘竿はもう壷に向かってささやくのをやめ、紡錘もまた壷に音を響かせるのをやめた。
 ──おお、マルジョレーヌ、ジャンと結婚しなせえ、と年老いた乳母は毎晩のように言った。
 けれども真夜中になると、夢を追う娘はむくりと起き上がった。彼女はモルジアヌのように壷に砂粒をふりかけ、さまざまな不可思議を呼びさまそうとした。にもかかわらず、盗賊はあいかわらず眠りこけていた。珍奇な果実が触れあう音もしなければ、砂金のさらさらいう音も、衣装の生地がこすれる音も聞こえてこなかった。そしてソロモンの封印は、閉じ込められた王子の上に重々しくのしかかったままだった。
 マルジョレーヌは砂粒を壷にひとつひとつふりかけていった。七たび砂粒は壷の硬い土に当って音を発し、七たび沈黙が繰り返された。
 ──おお、マルジョレーヌ、ジャンと結婚しなせえ、と年老いた乳母は毎朝のように言った。

 それがうるさくてマルジョレーヌはジャンの姿を見ると眉をひそめるようになり、ジャンはそれっきりもう来なくなった。そしてある明け方のこと、年老いた乳母が死んでいるのが見つかった、顔にはおだやかな笑みを浮かべながら。マルジョレーヌは喪服をつけ黒い頭巾をかぶり、なおも一心に糸を紡ぐのであった。
 彼女は毎晩起き出すと、モルジアヌのように壷に砂粒をふりかけては不可思議を呼びさまそうとした。しかしくさぐさの夢想はあいかわらず眠りこんだままだった。

 マルジョレーヌが倦まずたゆまず糸を紡いでいるあいだに、彼女はいつしか老年にさしかかっていた。しかしソロモン王の封印のもとに囚われの身になっている王子は、幾千年も生きていながら、おそらくはいまもなお青年のままなのに違いなかった。ある満月の夜、夢を追う老女は暗殺者のように起き上がると、槌を手にとった。彼女は気が狂ったように六つの壷を叩き割ったが、不安のあまり額には脂汗が流れた。器のくだける音が響いて、ぽっかりと穴があいた。中は空っぽだった。彼女はリリスが紫色の「楽園」を注ぎこんだ壷を前にして、しばらくのあいだためらっていた。それから意を決して、ほかの六つと同じようにその壷を打ち壊した。砕け散った破片のあいだに、干からびた灰色のジェリコの薔薇が転がり出た。マルジョレーヌはその花を咲かそうとしたが、しかし薔薇は粉々になって飛び散った。
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by sbiaco | 2010-02-12 23:19 | II.モネルの妹たち