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19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco

ビヴァンクへの手紙 - マルセル・シュオッブ

1894年1月

 去年は私にとって怖ろしい苦しみの年でした。私が命をささげた哀れな少女が死んでいくのを目の前でじっと見ていなければならなかったのですから。この世にただ一人の子、その子のために私は仕事をしていたのです。もしその子に必要なものを与えてやらなくてもいいのなら、私は物書きなんかしやしなかったでしょう。あなたは私より年上で、つらい経験もされていると思いますが、しかしあの訴えかけるような哀れな小さい顔がもう二度と見られないと思うと、あの子供みたいな声がもう二度と聞けないと思うと、何をしたらいいのか途方に暮れてしまいます。あの子の病気が重いと知ったとき、もうあの子のこと以外なにも、だれのことも考えられなくなってしまいました。仕事もやめてしまいました……あの子の病気を治そうと、あらゆることをやってみました──それがあの子に苦しい思いをさせたんじゃないかと恐れます──自分のやったすべてのことが、まるで怖ろしい自責の念のように目の前に立ちはだかります。私はもうこの世になんの興味もなくなってしまいました。癆痎は怖ろしい病です。あの小さい子がどれだけ雄々しくがんばったか、あなたがご存知だったら! いままで多くのことを見てこられたあなたなら、私の生活においてあの子の存在がどういうものだったか、ご想像いただけると思います──あなたにはあの子のことはまったくお話ししませんでしたがね。私はあの子にすべてを教わりました。あなたの愛してくださる私のコントに出てくる女の子はみんなあの子なのです。マイもバルジェットも、ほかの少女もみんな、そして今や! 私はくたびれ果てました。ご憫笑ください。仕事をしようと努めていますが、いまのところ何も書けません。あの重大で怖ろしいことが起ったあとでは、こまごました描写がどれもつまらなく思われてきます。しかし打ちこめることが何もないとすると、この私はいったいどうなってしまうでしょうか。……
 私の頭はからっぽで──ただ読書、読書、読書──考えるのが怖ろしくて……ひどい話ですが、あの子より先に死んでしまいたいと思ったことにも、さして良心の咎めを感じません、もしそうしていたらあの子はまったくの一人ぼっちになっていたというのにね。そして、死ねばもう一度会えるかもしれないと、あの子のあとを追うほどの深い信念も私にはありませんでした。子供を亡くした親はたぶんこんな気持になるのだと思います。これに比べたら、どんな苦しみだってものの数ではありません。あれからほぼ二ヶ月、あなたにお会いできればと願っています。あなたのことは何度も頭をよぎったのですが、何をしようという気にもならないのでした。なにもかもがぐらぐらでした……


ジャック・フランセン『W.G.C.ビヴァンク──マルセル・シュオッブ』(1947年)より一部引用
by sbiaco | 2010-01-31 23:34 | 附録