19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco

『モネルの書』書評 - モーリス・マーテルランク

 どんな地獄から、またどんな極楽から、このふしぎな、優しい、善良なモネルは立ち上がってくるのだろうか、死んでから、この本のとば口で、妹たちの出現に先立って語るモネルは?──それは昔ながらのあの寡黙な娘たちすべての魂なのであろうか、私たちが理解することなく、黙ったままそばを通り抜けていったあの娘たち、《我々が彼女らを知っているのは、彼女らが同情にあふれているあいだだけ。我々が泣くのをやめたら、彼女らはもう我々の顔をまともに見られない》ような娘たちの魂なのであろうか? モネルは死という忠実な鏡の中に、いっとき自分の姿を映し出したのだろうか? 彼女は自分のために生きる時間をもたない女たちの一人だった。そしていまや、彼女はそのささやかな生の深い意義を垣間見るのである、彼女の微笑や、沈黙や、接吻のうちに隠された、もうひとつの世界の真実のすべてを。それらの真実に、彼女はわれ知らず従っていたのだ……そして今日、モネルは至高の言葉を発する、そのいくつかは不滅の言葉の観を呈する、それらはじっさい、不可解な微笑や、意味もなく動く口や、わけも知らず落ちる涙のうちにある霊的な裏面を語るものなのだ……モネルは私たちのほうへやってくる、彼女の観念的な自我の奥底から脱け出て。そして私たちはいまようやく、どうして自分たちがすでに彼女を妹のように愛していたのかを知るのだ、彼女があんなに哀れに、無意味にみえたとき、私たちがそれと知らないうちに……
 そして次はモネルの妹たちがやってくる番である。彼女らはとりとめもないことを私たちに言う。自分らの小さい住まいの奥でひそやかに行動する、泣くべきときに笑う、黙すべきときに語る、私たちはもう彼女らがどこかに実在することを疑うことができない。そして彼女らがうちにもっている言葉、モネルがすでに発した言葉が、聖なるランプのように彼女らの内面生活のすべてを照らし、彼女らのほんのちょっとした身振りを重大な、厳格な、意味深いものにするのである……
 魂から始めるという着想、勇気をもったことはじつに新しく、美しい。その次に起るすべてのことは、も う 一 つ の 生 の荘厳で光輝にみちた奥底で進展する。そこではもはや射程をもたない言葉、結果をもたない態度などは存在しない。そしてここにいるのはふしぎな少女たち、魂の香りに焚き込められ、その為人がじつに不可解な少女たちである!……「蟹」に出てくる小学生は、後年の彼女がそうであるように、すでに狡猾な生き方をしている。「青髭の小さい妻」は、青い罌粟の実に意地わるく爪をたて、あらゆる官能の称賛すべき完璧な期待のうちに剣の振り下ろされるのを待っている。風車小屋の娘、風変りな少女のマッジは、三つの身振りと三つの言葉のうちに、あのイプセンの驚くべきヒルデの生とほとんど変らないほどの異様なまでに深遠な生のあり方を私たちに見せてくれる。ひりひりするような生命をもつマッジは、おそらくモネルの妹たちの女王であろう。彼女は女性というものの源泉そのものから出てきたようにみえる、邪悪なまでに善良な聖なるヒステリーの根源的な露になおもぐっしょりと濡れながら……それからバルジェット、天国のような国を求めて河を下る彼女は、飛び去る鳥のような叫びのうちに、モネルの妹たちの失望のすべてを要約して示す。内面を見つめるビュシェットやジャニー、それにイルセ、イルセは私の知るかぎりもっとも本質的な幻影である。夜になると、夢のつまった七つの色あざやかな壷に砂粒を振りかけるマルジョレーヌ、それにシンデレラの妹であるシース、シースは猫とともに王子様のやってくるのを待っている。そしてリリーのあとで、モネルはふたたび帰ってくる……私はこれらのページをすべて引用するわけにはいかない、私たちの文学にあってもっとも完璧なページ、私が読むことを得たうちでもっとも単純で、宗教的な深さをもったページ、いかなる称賛すべき魔法のせいか、形定まらぬ両極端のあいだをたえず浮遊しているようにみえるこれらのページ……そのすべてを引用するわけにはいかない、とはいえ、「モネルの遁走」、比類なき優しさをもった傑作であるあのモネルの遁走、それに彼女の「忍耐」や「王国」や「復活」のあとで、この本は少女の語る別の言葉でしめくくられる、そして古い街が雨で覆われるように、それらの言葉が作品の全体を魂で覆いつくすのだ。……
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by sbiaco | 2010-01-30 03:48 | 附録