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19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco

第二章 第五話 - 野生の娘

 ビュシェットの父は、日の出とともに彼女をつれて森へゆき、彼女は父が木を伐っている間、ずっとそばに座っていた。そして斧が振り下ろされる様子や、最初に樹皮の薄片が飛び散るさまなどを眺めていた。ときには灰色の苔が顔に降りかかってくる。《気をつけろ》とビュシェットの父がどなると、まるで地底から響いてくるような轟音とともに木が横ざまに傾いた。巨人のような大木が、大枝を痛め小枝に傷を負って、林間に倒れているの見るのは、なにかもの悲しい気がするものだ。夕方になると、薪の山を燃やす赤みがかった輪が、暗がりにくっきりと浮びあがる。ビュシェットは頃合いを見計らって藺の籠を開け、中から素焼の水差しや褐色のパンの切れを出して父に渡した。父はばらばらになった小枝のあいだに横になり、、ゆっくりと噛みながら食べていた。ビュシェットは帰りがけにスープを食べた。彼女はしるしをつけた木のまわりを走り、父が彼女の姿を見失うと、こっそりと隠れて《うー》と狼の声を真似るのだった。
 そこには村人が「狼の口の聖母マリア」と名づけている、茨の生い茂った、よく谺の響く暗い洞穴があった。ビュシェットは爪立って遠くからその洞穴を眺めていた。
 ある秋の朝、森の枯れた頂がなおも暁の光に燃えるように輝くころ、ビュシェットは「狼の口」の手前でなにか緑色をしたものが震えているのを見た。そのなにかというのは、手もあれば脚もあり、顔はといえば自分と同じ年ごろの女の子のように見えた。
 最初ビュシェットは近づくのが怖かった。父を呼ぼうという気にさえなれなかった。そこにいるのは、ひとが大声に呼びかけると「狼の口」の中から応えをよこす連中の一人なのではないか、と彼女は考えた。身動きしてなにかひどい危害を加えられたら大変だと思って、彼女は目をつぶった。そして顔をうつむけていると、そのあたりからすすり泣くような声が聞こえてくる。その奇妙な緑色の子は泣いていた。そこでビュシェット目をあけたが、なんとも切ない気持になった。というのも、やさしい、悲しげな緑色の顔が涙に濡れていて、緑色の小さい両手が、そのとほうもない女の子の胸の上にぎゅっと押しつけられているのを見たからだ。
 ──あの子はたぶんたちのわるい葉の茂みで転んだんだわ、それで色が移ってしまったんだ、と彼女はつぶやいた。
 そこで彼女は勇気を出して、鉤爪や巻きひげを逆立てた羊歯の茂みを横切って進み、その奇妙な顔に触れんばかりに近づいた。するとしおれた茨の中から、緑色をした小さい腕が伸びてきてビュシェットを迎えた。
 ──この子は私にそっくりだ、とビュシェットはつぶやいた、それにしても変な色をしてるわ。
 その泣いている緑色の生き物は、木の葉を綴じて作った粗末な服で体を半分覆っていた。野生の植物の色はしているものの、まごうかたなき少女であった。ビュシェットは、娘の足が地に根をはっているのではないかと思った。が、娘はじつに敏捷に足を動かしていた。
 ビュシェットは娘の髪をなでて手をとってやった。娘は誘われるままついてきたが、そのあいだもずっと泣きやまなかった。彼女はどうやら口がきけないようだった。
 ──おんやまあ、なんてこったい、緑色の悪魔の子だよ! と、彼女がやってくるのを見たビュシェットの父は叫んだ。──どっから来た、お前さん、なんで緑色をしてるんだ? 返事ができねえのか、え?
 緑色の娘に話が通じたのかどうかは知りようもなかった。《たぶん腹がへってるんだよ》と彼は言った。そしてパンと水差しを与えてみた。彼女はパンを手にとってひねくりまわしていたが、いきなり地面に投げ捨てた。そして水差しを振って中の葡萄酒の音に耳を傾けた。
 ビュシェットは父に、このあわれな生き物を夜のあいだ森に置いてきぼりにしないよう頼みこんだ。薄暗がりのなかに、薪の山がひとつひとつ光りはじめ、緑色の娘はふるえながらその火を見つめていた。娘は小屋へ入ってきたときも、灯りを見たとたんに逃げ出した。彼女はどうしても火になじむことができず、蝋燭がともされるたびに叫び声をあげた。
 ビュシェットの母は彼女の姿を一目見るなり胸に十字をきり、《もしこの子が悪魔なら》と言った、《どうか神さまお助けくだせえまし。はあ、どう見てもキリスト教徒じゃあんめえよ》
 この緑色の娘がパンにも塩にも葡萄酒にも手をつけようとしなかったことを考えると、彼女が洗礼を受けたこともなければ聖体拝領にあずかったこともないのは明らかである。そのことを聞きつけた村の司祭がやってきて家の敷居をまたごうとしたとき、ちょうどビュシェットはこの生き物に莢つきのそら豆をやっているところだった。
 娘はひどく嬉しそうで、茎にも豆が入っていると思って、すぐに茎に爪を立てて割った。しかし豆がないのがわかると、またしても泣きはじめ、ビュシェットが新たに莢をむいてやるまで泣きやまなかった。そしてそら豆をかじりながら、じっと司祭の顔を眺めていた。
 小学校の先生にも来てもらったが、娘に人間の言葉をわからせることも、まともな声でしゃべらせることもできなかった。彼女は泣くか、笑うか、さもなければ叫び声をあげていた。
 司祭は娘を蚤取り眼で調べてみたが、その体のどこにも悪魔のしるしは見当たらなかった。次の日曜日、教会に連れて行かれたときも、彼女は不安な様子をまったく見せなかった、聖水で濡らされたときだけは低いうめき声をもらしたけれども。ともあれ娘は十字架に磔にされたキリストの絵を前にしてもたじろがなかったばかりか、聖なる傷痕や荊棘の裂傷に手をかざしながら、ひどく心を痛めているようにみえた。
 村人たちはおおいに好奇心をそそられた。なかには怖がる者もいた。そして司祭が太鼓判を押したにもかかわらず、娘のことを話題にするときにはいつも《緑の悪魔っ子》と呼ぶのだった。
 娘が食べるのは植物の種や実ばかりだった。ひとが麦穂や枝を見せると、きまって茎や木の部分を割ってみては、そのたびにがっかりして泣き出した。ビュシェットは、どこへ行けば麦の粒やさくらんぼうが見つかるかを娘に根気よく教えたが無駄骨であった。彼女の試みはいずれも同じような期待はずれに終るのを常とした。
 娘はやがて見よう見まねで木や水を運ぶことや、掃き掃除に拭き掃除、さらには縫い物までできるようになったが、彼女が布をあつかう手つきから判断するに、あまり好きでもなさそうだった。ただ火をおこすことだけは頑として承知せず、炉には近づこうともしなかった。

 そうこうするうちにビュシェットは大きくなり、両親は彼女を奉公に出そうとした。彼女は悲嘆に暮れ、夜になると毛布の下で声を殺して泣きじゃくった。緑の娘は小さい友を殊勝らしく見守っていた。朝になると、娘はビュシェットの瞳をじっと見つめていたが、そのうち娘の目にも涙があふれてきた。その晩またビュシェットが泣いていると、やわらかい手がそっと彼女の髪をなで、みずみずしい唇が頬にふれるのを彼女は感じた。
 ビュシェットが囚われの身になるべき期日が近づいてきた。彼女はずっと泣いていて、そのあわれな様子は、かつて「狼の口」の前に捨てられているところを発見された、あの日の緑色の生き物もかくやと思われるほどだった。
 そして最後の夜、ビュシェットの父も母も寝静まったころ、緑色の娘は泣いている少女の髪をなでて手をとった。それから扉をあけ、夜の闇に向かって両腕を広げた。かつてビュシェットが人の住む家に娘を連れてきたように、今度は娘がその手をとって、未知の自由へと彼女を連れ去ったのである。
by sbiaco | 2010-02-15 23:21 | II.モネルの妹たち