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19世紀末のフランス作家マルセル・シュオッブ(Marcel Schwob)の「モネルの書」の翻訳とその周辺


by sbiaco
 ──おっかないわ、とその女の子は言った、だって白い血が出てくるんだもの。
 女の子は緑色の罌粟の頭に爪を立てて切り裂いた。仲間の少年は静かに彼女を見つめている。二人はマロニエの木立で追剥ごっこをやったり、新鮮なマロニエの実で茨の茂みを砲撃したり、新しいどんぐりの皮をむいたり、にゃあにゃあ鳴く子猫を矢来の板にのっけたりして遊んでいたのである。薄暗い庭の奥には幹が二又になった樹が立っていたが、そこがロビンソンの島なのだ。野蛮人の襲撃にそなえる戦闘用のラッパにはじょうろの口を使った。黒くて長い頭をもつ草は囚われの女たちという見立てで、その首はみなすっぱりと刈り取られていた。狩りあつめて捕虜にした青や緑のハナムグリが、釣瓶のなかでさやばねを重々しくもちあげていた。二人は小径の砂にいくつも筋をつけたが、それはパレード用の棍棒をもった軍隊が通っていった跡なのである。そして彼らはいま、大草原の草深い丘を襲撃したところだ。夕陽が二人を栄えある光輝のなかに包んでいた。
 二人はややくたびれたていで征服した敵陣に立って、はるかな秋の靄が朱く染まるのをうっとりと眺めていた。
 ──僕がロビンソンなら、と少年は言った、君はフライデーだな。下に大きな浜辺があったら、その砂浜へ人食い人種の足跡を探しにいくんだがなあ。
 女の子はしばらく考えてから、こう訊ねた。
 ──ロビンソンって、フライデーが言うことを聞かなかったりしたら打つのかしら。
 ──よく覚えてないや、と彼は言った、でも悪者の年寄りのスペイン人を二人して打ってたっけ、それからフライデーの国の野蛮人たちも。
 ──そんなお話、つまんないわ、と彼女は言った、そんなのは男の子の遊びよ。もうじき夜になるわ。おとぎ話ごっこをしましょうよ、ほんとに怖くなるかもしれないわよ。
 ──ほんとに、とは?
 ──たとえば、長い歯をもった人食い鬼の家が、毎晩森の奥にあらわれるんだって、あなた思わないこと?
 少年は女の子の顔を見てから、あごをかみ合わせてカチカチ音をたてた。
 ──で、その人食い鬼は七人の王女さまを食べちまいましたとさ、むしゃむしゃとね。
 ──あら、そうじゃないわ、と彼女は言った、人食い鬼になるか、親指太郎になるかのどっちかよ。七人の王女さまなんて名前がわかんないじゃないの。もしよかったら、私、お城に眠るお姫さまのベルになるわ。で、あなたは私の目をさましにやってくるの。激しくキスしなきゃだめよ。王子さまって、ものすごく激しくキスするものなのよ、知ってて?
 少年はどぎまぎして、こう答えた。
 ──草のなかで眠るにはもう遅すぎるよ。ベルは茨や花にかこまれたお城のベッドに寝ていたんだから。
 ──そんなら、青ひげごっこをしましょうよ。私、あなたのお妃になるわ。で、あなたは私に言うのよ、あの小部屋に入ることはまかりならん、ってね。じゃ、はじめるわよ。あなたはまず私と結婚しにやってくるの。《お殿さま、よくは存じ上げませんけれども……あなたの六人のお妃さまはふしぎな仕方でお姿をくらましておしまいになったと聞いております。たしかに、あなたは大きくてりっぱな青ひげをおもちですし、住んでらっしゃるお城もそりゃもうみごとなものでございます。あなたは私にけっして、けっして痛い思いをさせたりはなさらないでしょうね?》
 彼女は訴えかけるような目で少年を見た。
 ──それで次は、あなたが私に結婚の申し込みをしたの。私の両親も大賛成よ。二人はめでたく結婚しました。さ、鍵をぜんぶ私に渡してちょうだい。《この小さくてきれいなのは何の鍵かしら》 そこであなたは太い声で、開けてはならぬぞ、と言うのよ。
 それで次は、あなたがどこかへ出かけてしまうと、私はすぐにそのいいつけを破るんだわ。《ああ、なんて怖ろしいこと! 六人のお妃は殺されていたんだわ》 私が気を失ったところをあなたがやってきて助け起こすの。いいわね。青ひげのあなたが戻ってくる。太い声を出す。《お殿さま、あなたが私にお預けになった鍵はすべてここにございます》 そこであなたは、あの小さい鍵はどこにある、と訊くの。《お殿さま、私存じませんわ。触ったこともございません》 あなたは声を荒げる。《お殿さま、どうかご勘弁くださいまし。鍵はここにございます。隠しの底のほうに入っておりましたわ》
 それからあなたはその鍵を見つめるの。どう、鍵に血はついてたの?
 ──うん、と彼は言った、血の染みが。
 ──思い出したわ、と彼女は言った、私、その血をこすり落とそうとしたのよ、でもどうしても落ちなかった。それ、六人のお妃の血だったのかしら?
 ──そう、六人のお妃の。
 ──青ひげはその六人とも殺してしまったのかしら、ええ、彼女らがあの小部屋に入ったという理由で? いったいどうやって殺したんでしょうね。のどを切り裂いて、窓のない納戸に吊るしたのかしら。血が足を伝って床までしたたり落ちたのかしら。きっととっても赤い、赤くて黒い血だったんでしょうね、私が罌粟を爪で裂いたときに出たような血じゃなくて。のどを切り裂くには膝まづかせなきゃならないんでしょ?
 ──たぶん膝まづかなきゃならないだろうね、と彼は言った。
 ──おもしろくなってきたわ、と彼女は言った。でもあなた、本気で私ののどを切り裂くつもり?
 ──もちろんさ、だけど、と彼は言った、青ひげはお妃を殺すことができなかったんだよ。
 ──どうでもいいわ、そんなこと、と彼女は言った。でもどうして青ひげはお妃の首を切らなかったのかしら。
 ──お妃の兄さんたちがやってきたからだよ。
 ──お妃は怖かったんでしょうね。
 ──そりゃとても怖かったさ。
 ──叫んだりしたのかしら。
 ──妹のアンヌを呼んだんだ。
 ──私だったら叫んだりしないわ。
 ──そうだね、だけど、と彼は言った、青ひげには君を殺す時間がたっぷりあったんだぜ。妹のアンヌは塔の上から青々とした野草を眺めていただけだしね。でも、お妃の兄さんたちはとてもたくましい近衛兵で、馬を全力で走らせて急場に駆けつけたというわけさ。
 ──そんなふうにして遊ぶのはおもしろくないわ、と女の子は言った。退屈よ。それに私にはアンヌなんていう妹はいやしないし、ね。
 彼女はやさしく彼のほうに向きなおった。
 ──兄さんたちがやってこないんだから、と彼女は言った、私を殺さなくちゃいけないわ、かわいい青ひげさん、きつく殺るのよ、とてもきつく。
 彼女は膝まづいた。少年は彼女の髪をつかんで前に寄せ、手を振りあげた。
 目をつぶり睫をふるわせ、唇の端には昂ぶった笑みを浮かべて、彼女はゆっくりとうなじのうぶ毛を、その首を、なまめかしくくぼんだ肩を、青ひげの剣の冷酷な刃の下に差し出した。
 ──う……うう! と彼女はうめいた、痛いんだわ、きっと!
# by sbiaco | 2010-02-18 23:04 | II.モネルの妹たち